『佐藤信弘秀歌評唱』と『菱川善夫歌集』

年末に書庫を整理していて1989年5月号の『月刊カドカワ』に目がとまった。これまでに古い雑誌の多くは処分していたので、なぜこの本を処分しなかったのか疑問に思い、パラパラとめくってゆくと「岡井隆のあなたと短歌を」が最後の方に掲載されていた。

三席に「文京区寺元 琳」とあったので合点がいった。寺元琳は私の学生時代のペンネームである。

これは私が初めて総合文芸誌の短歌応募欄に歌が掲載された記念として残したものだった。既に未来短歌会に入会していたのだが、未来誌に発表する歌とは違う傾向の歌を試してみたかったのではないかと思う。
 第1歌集には収録していないのでここに紹介してみたい。

「無血革命」僕らの愛がそうだった……脱構築の口まねオウム


この歌に岡井さんは次のような選評を書いている。「寺元さんも、流行哲学用語をつかったしゃれた歌である。愛を分析しているようにみえて、意外に抒情的である。」当時はまだまだニューアカデミズムの隆盛が席巻していた時代であり、ポストモダン関連の哲学書が盛んに読まれていた。今から見ると赤面ものだが、このような表現世界を真剣に追求してみたいという気持ちも強かったのだろう。

私が第1歌集『メランコリック・エンブリオ憂鬱なる胎児』を刊行するのは1996年であり、この歌が掲載されてから7年後ということになる。メランコリックにもポストモダン関連の用語が散見され、その影響がかなりの期間継続されていたことがわかる。


「ミル・プラトー」迷子の翳を訪ねゆく言葉じゃとても言えやしないし
「砂の処女性」より
追いこせぬ翳を追ってるわれの鬱このフィールドがクラインの壷?
パラダイムから解き放されし寒卵メタフォリカルな自慰に固執す 「思考する卵」より
蓮實的言辞の果てに一束の毛が毛のように反復する 「表層の耳」より


私の20代から30代前半の頃までの思想界は、浅田彰や中沢新一の登場とその後のニューアカデミズムの時代、柄谷行人や蓮實重彦の活躍などに特徴づけられる。短歌で言えばニューウェーブの最盛期である。そのような状況にあって、その時代の雰囲気に後押しされながら、短詩型の可能性を追求するあらゆる試行が実践されていた。そこに時代的な制約はあったのだろうが、短歌の可能性に対するネガティブな思いは不思議なほどなかった。むしろ、新しい短歌とは何かという課題を自分なりに負いながら、努力することに悦びを感じていた。

『月刊カドカワ』の投稿歌を作ってから25年の歳月が流れた。その当時よりいくらかは作歌の技術は上達しているだろう。しかし失ったものに比べて、それに見合うだけものを身につけたのかどうかは疑問である。私は本連載を再開するにあたり、自己の創作の原点に立ち返って詩歌を批評してゆきたいと思う。また、否定的精神を原動力としたエネルギーを呼び起こし、虚心にテクストに向き合ってみたい。既に失ったものを取り戻すのは容易ではないが、これから出逢う詩歌との対話が私に新たな情熱をもたらしてくれることを願っている。

                    *     *     *

私は昨年の8月に本連載をまとめた批評集『緑の闇に拓く言葉パロールを刊行した。現在もウェブ上に公開されている連載を抜粋して刊行したのは、これまでに書いたものを一度整理し、その後の批評に有機的につなげたかったからである。

しかし、連載をまとめる作業に集中することである種の達成感に見舞われ、連載の再開は批評集の刊行後にしたいという思いに囚われた。それが今日まで再開できなかったのはまったく私の怠慢にすぎない。休止前の最後の連載は、昨年の6月21日にアップされた「瀬戸夏子第一歌集『そのなかに心臓をつくって住みなさい』を読む。」である。それから今日までの間にもここに取り上げてみたい詩歌集が数多く刊行されている。

私が瀬戸の歌集の後に批評する予定にしていたのは、昨年の3月に刊行された佐藤羽美歌集『ここは夏月夏曜日』であった。私は佐藤の短歌に対する作歌姿勢に心動かされるものがあり、「あとがき」に記された清々しい覚悟に強い印象を受けていた。佐藤は『100の呼吸で』という青春歌集を以前に刊行しており、この歌集は第2歌集にあたる。しかし、未来短歌会入会以前の歌を収録した前歌集をリセットし、本歌集を新たに第1歌集として位置づけるというのである。「この先、力尽きるまで歌を詠み続けていくのだ」という未来短歌会入会時における佐藤の純粋な決心に触れると、私は自分が既に失ったものを呼び起こされる思いがした。

また、秋月祐一の第1歌集『迷子のカピバラ』にも鮮やかな印象を持っている。短歌・写真・イラストのコラボレーションが特徴的だが、特に短歌の言葉の質に注目させられた。佐藤羽美、秋月祐一の歌集については、改めて論じてみたいと思っている。

書肆侃侃房から刊行されている「新鋭短歌シリーズ」も魅力的である。その他、多くの若い歌人の第1歌集が刊行され、第1歌集にしか持ち得ない清新さに魅了される。順次本連載でも紹介できればと思っている。

ところで、私がこれまでまったく知ることのなかった歌人で、驚愕すべき短歌を創作していた人との出会いもあった。加藤克巳に師事し、「個性」解散後は「熾」に所属する佐藤信弘である。佐藤の歌は、昨年8月に刊行された中村幸一著『佐藤信弘秀歌評唱』(北冬舎刊)によって知ったのだが、実験的前衛モダニズム短歌とでもいうべき孤高の姿をしている。同じく「熾」に所属する中村が自己の知識を駆使して佐藤の歌を読み解く様は、先輩歌人に対する厚い敬意が込められたものである。中村が佐藤の既刊5歌集から選んだ秀歌の中から次に5首引用してみたい。

落ちて来た球体がぶつかる線のたわみあともどりしない何度も落ちて来る
第1歌集『具体』より
からっぽの空のすみっこ子象たち頭のへこみで雲作りする
第2歌集『海胆と星雲』より
いきもののわれのかたちに言葉たちつらなりて飛びいろづきて帰れ
第3歌集『制多迦童子の収穫』より
とんぼのむれ母のくにまで行きつけるしるしのごとき坂の夕映え
第4歌集『こけらぶきのけしき』より
たましいのかたちはみんなこんなものとそれぞれの高さで葱坊主立つ
第5歌集『昼煙火〔古賀春江の景〕』より


佐藤の歌の魅力はここに引用した歌だけではよくは分からない。中村の読解と合わせて読まなければ、佐藤の歌の本質は理解できないだろう。短歌表現の極北に触れたい方に、ぜひお薦めしたい一冊である。

昨年末『菱川善夫歌集』(2013年12月、短歌研究社刊)が刊行されたことも一つの事件であった。菱川のことを批評家としては高く評価しながらも、一部の歌人の間では短歌創作者ではないことを理由に貶める向きがある。しかし、菱川は歌人としての資質を豊かに持っていたことが、この度の全歌集によってはっきりと示された。菱川の書く評論は短歌創作者としての視点を欠くものではなく、歌人としての資質を充分に備えながら批評に専念していたことがはっきりと証明されたのである。
『菱川善夫歌集』から、巻頭と巻末の歌を含む5首を引用してみたい。

赤々と熱光放つ明星の空にし燃えて風をぬるます 「新墾」(昭和21年5月号)
灰の降る街で魚のように鱗をつける。犯された空を人ら小さくのぞみ
「涯」5号(昭和29年7月1日刊)
迷いこんだ笹藪の中の舌切雀。お婆さんの醜い歯茎のように孤独はくるだろう。
「涯」8号(昭和30年8月1日刊)
つ者に贈らんといふにあらねども口中の言葉はやも吹雪ける
「早稲田文学」66号(昭和56年11月刊)
心とは人をよろこばす術またしても文豪論のテーマ賜ひぬ 2007年未発表作品より


菱川の短歌はこれから検証されてゆくと思うが、この機会に評論も併せて読み直しが必要ではないかと思われる。

連載再開にあたり、今年こそは石井辰彦の全業績を追ってみたいと思っている。私が石井の短歌を初めて読んだのは『バスハウス』(1994年、書肆山田刊)だが、そのときの衝撃には未だに忘れ難いものがある。現代短歌体系新人賞作品から時系列に沿って読む予定にしている。

次回から本格的に詩歌集を取り上げたいと思う。時間のある折りに覗いていただけると幸いである。



14/02/10 up
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