冷蔵庫の歌(6)
電気冷蔵庫の歌


電気冷蔵庫昭和30年代半ばより電気冷蔵庫は一気に普及する。「電気冷蔵庫の普及率は、昭和三十三(一九五八)年の三・二%から、十年後には七七・六%にまでなり、その大衆化が現実のものとなった。(『冷たいおいしさの誕生−日本冷蔵庫100年の歴史』村瀬敬子著)」

一旦普及すると、冷蔵庫は家庭の主婦だけではなく、家族の誰もが日常的に触れる機会のある電化製品となり、家庭における食事のあり方だけでなく、生活形態そのものにも大きな影響を及ぼした。冷蔵庫がその中心に据えられることにより現代的な核家族は成立していると、言えないこともない。

電気冷蔵庫の時代になって、短歌でも男性、女性問わず多くの歌人が冷蔵庫の歌を詠んでいる。今回はその中から特徴的と思われる冷蔵庫の歌を二首紹介する。


満ちて愛、われらは眠る200リットル電気冷蔵庫を信じて

小池光『日々の思い出』(1988年刊)


この歌が信じる対象は「電気冷蔵庫」である。家族やその心理的愛情という実体のない「愛」ではなく、冷蔵庫の中に満ちていて同時に「200 l」と数値化することのできる「愛」であり、すなわち「電気冷蔵庫」そのものなのである。

この歌には現代の家族、あるいは家庭、生活そのものの、どこか表層的であり、無機質な空間の中で「電気冷蔵庫」という実体のある道具を信じるというところに、アイロニーがあり、そして、尚且つ、本気で信じてみせるところに、歌のあわれがある。

実際に満たされながら、しかしそれはあくまで物質的に満たされている感覚。当時、誰もが共有しつつある感覚であったのではないだろうか。そういう意味でこの歌は象徴的でもある。そして、アイロニカルでありながらも、それを露骨なまでに歌い上げるところで、却ってアイロニー以上の妙なエネルギーが生じているのが面白い。

今述べたようなモチーフはこの歌の構造からも見ることができるのではないか。

この歌を、意味の上から五つにわけて読むならば、

満ちて愛、/われらは眠る/200リットル/電気冷蔵庫を/信じて

となり、第五句に字足らず感が伴い、満ち足りなさが生じる。「信じて」はどこか頼りない。
一方で、全体の字数は32文字。満ち足りてもいる。

ちなみに、200リットルの冷蔵庫が登場したのは、昭和50(1975)年にナショナルが「ちょっと大きめ」をキャッチフレーズに売り出したのが最初で、その後に冷蔵庫の大型化が進み、現在では400リットルが主流となっている。


ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は

穂村弘『シンジケート』(1990年刊)


「冷蔵庫の卵置き場」は大人が冷蔵庫の扉を開けたとき、ちょうど見下ろす高さにあるから、涙が落ちてもおかしくない。冷蔵庫を開いたときに落ちた、この「ほんとうにおれのもんかよ」と思うような涙は、冷蔵庫に冷やされた物が、外気に触れて雫を落とすように、現象的な趣がある。己の実感を伴わない涙である。

逆に言えば、涙が落ちる空間として穂村が選んだ「冷蔵庫の卵置き場」という設定はどこかキッチュだ。「冷蔵庫の卵置き場」という言葉自体もそのものずばりで、妙な鮮明さがあって、そのために却ってプリミティブな印象を受ける。自身の涙だけでなく自身を取り囲む空間そのものがまがい物のおもちゃのような。

歌の内容からすれば、「ほんとうにぼくのものかな」の方があっているようにも思われるのだが、「ほんとうにおれのもんかよ」と、妙に男っぽく言う。そこが歌の中でなんだか切なく響く。ここには単に、傍観的なわれ、に埋没しない強い響きがあるのだ。歌の構造自体も、自覚なく落ちた涙を題材にしながら、妙にばっちりしていて、曖昧さは少しもない。内容とは相反する妙なエネルギッシュさがある。こうしたアンバランスさが保たれることで、歌は魅力的なものとなっている。

前回紹介した塚本邦雄の歌では冷蔵庫は生きた物を閉じ込める残酷なイメージとして詠われている。塚本は1992(大正11)年生まれであり、戦中を生きた世代。小池光は1947(昭和22)年生まれ。いわゆる団塊の世代であり、戦争を知らない子供たちの世代である。小池の歌では冷蔵庫は愛の対象として正に生活の中心に据えられた。そして穂村弘はその後のバブル世代、1962(昭和37)年の生まれ。まがい物のおもちゃのような生活感のない冷蔵庫がここでは詠いとられている。

冷蔵庫は現在では日本のどの家庭にもある電化製品である。同時に戦後において日本の復興と共に急速に日本に普及した電化製品でもあった。こうして歌を読んでみると、同じ道具でありながら、歌人による冷蔵庫の捉え方は各世代あるいは詠われた時期によっても異なっているようで興味深い。


(挿画も著者)

09/09/15 up
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