手伝う、手伝わない
>結婚して初めてわかったことなのだが、夫は家事がとても上手なひとだった。
>恋人時代になぜそれを知らなかったのかと言えば、わたしたちは同棲というものをしたことがなく、加えて、夫の部屋には調理道具がまったくなかったからだ。それから、洗濯機もなかった。ビジネスホテルによくあるような小さな1ドアの冷蔵庫が、キッチンというより流し、の一角にちょこんとあり、流しには備え付けのコンロがひとつ。コンロの上にはいつも置きっぱなしのやかん。夫の持っている台所用品といえばこのやかんだけだった。食事は主に外ですます。洗濯は溜まったときにまとめてコインランドリーへ。「シンプルで無駄のない」と言えなくもないが、そんな夫の生活を見ながらわたしは「このひとは家事が苦手なのだろうな」と思っていた。彼の部屋へ行ってもわたしはただのお客様であり、流しに置きっぱなしの食器を洗ったりだとか、干しっぱなしの洗濯物をたたんだりだとか、ましてや彼のキッチンで手料理を振る舞ったりだとかした経験がない。
>さて、一人暮らしの彼の部屋を訪れるとき、女のひとはどこまで家事に協力すべきなのだろうか。
>付き合いはじめた頃のふたりならば、彼のほうもそれなりの気合いで彼女を迎えるだろう。彼女がキッチンに立つことがあるかも知れない、と考えて、シンクなんかも磨いて待っていたりして。「キレイにしてるんだね」という彼女の言葉を嬉しく聞いたりするだろうか。わたしは思う。きっとそれははじめのうちの何回かだけだろうな、と。
>お互いがだんだん気を使わないような関係に進むと、彼女の「お母さん化」がはじまっていくに違いない。食べ終わった食器、干した洗濯物、そのようなものが目につく場所に放置されるようになる。無視するのも悪いし、と洗い物をしたり、洗濯物を畳んだりする彼女。彼といえば「そんなこと、しなくていいのに」と言いながらも本を読んだりタバコを吸ったりで手伝う気配もない。そのうち、彼女がやってくれるはず、と彼のほうはまったく家事をしなくなって……。
>そうなったらもはや恋人関係ではなく、親子に近いのではないだろうか。「ほらもうこんなに散らかして〜」なんて彼女がしかると「適当に片付けておいてよ」とかわす彼。ふたりの終わりは、近い。
>かと言って、彼がしそこなった家事をまったく手伝わないというのもオンナとしての魅力に欠けるような気がする。意地をはらずに、電車でお年寄りに席を譲るような優しさで、ナチュラルに力を貸せればいいのだが、わたしはどうもそのあたりの勇気が乏しい。「やるべきか、やらざるべきか」を考えて、結局彼が「洗濯物、畳まなきゃ」というのを聞いてぎこちなく靴下の片方を探してまるめたりする。
>夫は洗濯と食器洗いが大好きらしい。休みの日には早起きをして何度も洗濯機を回し、充実感に浸っている。曰く「家に洗濯機があるって便利だな」。なるほど、これまでの生活はコインランドリーまで重い洗濯物を抱えて往復しなければならないから、洗濯という作業はとても大変だったのだろう。それに甘えて、今ではわたしは自分の下着までもを夫に託してしまっている。何年も穿いているお気に入りを「このパンツ、そろそろ捨てたほうがいいんじゃない?」などと言われながら。
>「お母さん化」しているのは夫のほうであった。
われという主語と引き合う述語あれ>あおい靴下脱がす/履かせる |
柳澤美晴『一匙の海』 |
11/09/04 up
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