戸田茂睡の歌を読む
>前回扱った荷田春満の歌について、私は自分の目で見ていい歌を見いだすことができたように思う。
>最近文庫化されたドナルド・キーンの『日本文学史 近世編二』(中公文庫)には、「春満の歌は、彼の信念を詠んでいる場合を除くと、驚くべき陳腐さに終始している。」と書いてあって、歌人としての評価は極めて低い。
>また、林達也の『江戸時代の和歌を読む』(原人舎刊、旧版はNHKテキスト)にすら、「春満の場合、歌は、消閑の具以上でも以下でもなかったようである。」と春満を扱った章の末尾に書かれてあって、これもあまり読者の特別な関心をそそるようなものではない。こうしてみると、自分の目で読むことがいかに大事かということがわかる。
>次に校注国歌大系本で戸田茂睡のところを繰ってみると、これがなかなかおもしろい。茂睡は、堂上和歌の因習を徹底批判して、和歌革新の露払いを行った人物である。『紫の一本』は、二人の仮構された人物が歌によって問答するという江戸名所記で、遊覧気分が横溢している。「紫の一本」というのは、「古今集」の有名な古歌、「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」を踏まえた題。それでは試みに「武蔵野」という語の出て来るところを読んでみよう。(引用にあたり、詞書に句読点と括弧、濁点を付した。詞書に溶け込んでいる歌は、改行して表記した。)
(詞書)
>陶々齋と府中あたりへ来て、「さてさて、広き事かな。月の入るべき山もなく、『草より出でて草に入る』といひしも理なり。是れを本歌にして、一首参らせむ。」とて、陶々齋がよむ。
武蔵野は名のみばかりぞ家続き軒より出でて軒にこそ入れ
(陶々齋)
遺佚がいふ。「よき歌なり。誠に聞き及びしより広き野なり。『行けども秋の果てもなし』とよみたる歌もあり。これを本歌にして返し、
(歌)
武蔵野は行けども家の果てもなしいかなる馬に乗りてめぐらむ
(遺佚)
(詞書)
武蔵野を大きくよまむとて陶々齋が
西は富士東は海のなのみして雲と霞も武蔵野の原
(陶々齋)
とよみしかば、それにつけて、
(歌)
武蔵野の眺めの末にたとへては富士もさながら草の上露
(遺佚)
>これは二人の人物の歌問答である。行けども行けども家ばかりというのは、疎密の違いはありながら、今の東京も変わりはない。府中あたりでそう感ずるというのが意外だが、一面の草野原を期待していたのに、どこまで行っても人家が目に入ってしまうということだろう。二首の歌の本歌は、それぞれ「武蔵野は月の入るべき嶺もなし尾花が末にかかる白雲」(通方)と、「武蔵野やゆけども秋の果ぞなきいかなる風の末に吹くらむ」(通光)である。江戸の歌人は、武蔵野を詠んだこれらの古歌を偏愛した。「軒より出でて軒にこそ入れ」なんて、なかなか言い得ているし、「いかなる馬に乗りてめぐらむ」、広大な武蔵野をどんな名馬に乗ってめぐろうか、という諧謔も楽しい。二首とも狂歌に傾いていて俗ではあるが、歌としてなかなか整っている。
次に「武蔵野を大きくよまむ」と言って作った方は、作意がやや空回りしている感じがしないでもない。しかし、なかなか気宇壮大で、富士を詠んで「富士もさながら草の上露」とまで言ったのは、茂睡が最初ではないのか。
>続けて茂睡の有名な歌を含んだくだりを引く。これは茂吉の「近世歌人評伝」でも冒頭に引かれている歌である。
(詞書)
>浅草観音地内、三社権現の祭を見むとて、広徳寺の前をすぐるに、もと見し人に逢へり。「やれやれ久しや。」と、しばらく語れば、辻番や門の犬にさまたげられ、〈是にては語りも尽きじ。いづかたにてか〉と、しばし案じけるが、ここに古さる入道の住みあらしたる庵あり。ここにてものいはむと、案内して門に入りぬ。垣もくづれ、かたむき、ふかぬあらしも声するやうなり。僅かなる敷台より二階上る。牀の脇に一つの額あり。草庵之記なり。岡野某の書にて、その末に、
>>熊にあらず虎にもあらず浅草におき臥すわれを誰かしるべき
>といふ主の入道の歌を書き添へたり。爰にて暫くものいひ、茶など求めて飲み、住みし主のことを思ひ出して、
(歌)
おもひきやかりの庵はしばしだに残りて人の跡とみむとは
>旧知の二人が出会ってから「辻番や門の犬にさまたげられ」て、話もおちおちしていられないという描写が楽しく、隠居している住まいは「吹かぬ嵐も声するやう」な荒れ方だというのが、貧しい暮らしを物語る。これは茂睡の自室を描写しているのだろう。詞書中の「熊にあらず虎にもあらず」というのは、諧謔を含んだ反語的な表現で、作者は市井に逼塞して生きる屈託をこうして晴らしてみせたのである。野人が地面を踏みながら吠えているような感じの男歌で、このような諧謔を江戸の人々は喜んだし、明治の日本人、戦前までの日本人も喜んだ。現代はどうなのだろう。
11/08/10 up
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