片桐石州の歌
>前回の景樹の歌の話を続ける。最近私は、江戸時代初期の茶人片桐石州の次の歌を目にした。
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なに事も思はでくらす面影にむかひてもまた何かおもはん 万里一条鉄 |
片桐石州 |
>片桐石州は、臨済宗の大徳寺に参禅した。この歌は、石州の等身大の木像が手に持っている笏に書かれている。その像は、もと大徳寺の高林庵にあり、明治時代に同寺が廃れたため、大徳寺末寺の慈光院内本席の脇にある持仏堂に移された。
>歌のすぐ下に書かれている言葉「万里一条の鉄」というのは、石州が三十四歳の時に三叔宗関の法号を授かった際の公案である(桑田忠親著作集第十巻『茶道と茶人(三)』所収「片桐石州と茶道芸術」)。※補注
>一首の意味は、何事も思わないで明かし暮らしている日々に、面影のある事物、とりわけ忘れがたい女性の姿(の思い出)に対面することがあったとしても、(悟りをひらいたいま)何を思い悩むことがあろうか、というのである。おそらく面影に向かうのは月影の下であろうが、直接には月はこの歌に出て来ない。月だったら当然業平の歌などを踏まえていることになる。艶なる和歌の風情と禅語の取り合わせということ自体に、茶人石州の洗練された美意識が感じられる一首である。
>ここでもう一度景樹の歌を見る。
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うづみ火の外に心はなけれどもむかへば見ゆるしら鳥の山 |
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香川景樹 |
>石州の歌は、悟りの内容を正直に言っただけの歌である。それに対して、景樹の作品は、枯れながらもつややかと言っていいような美しさを持っていて、微妙に読み手の気持ちをそそって来るところがある。にもかかわらず、こうして並べてみると、両者の発想の仕方が実によく似ているということに、気づかせられる。一方は、「面影にむかひてもまた何かおもはん」と言い、もう一方は「むかへば見ゆるしら鳥の山」と正反対の言い方をしてみせるのだが、精神の志向するかたちは同じである。景樹は、石州のこの歌を知っていたのか、いなかったのか。ただし、私はここで景樹の右の歌が、茶道や禅の精神性を表現したものだと言いたいわけではない。
>類想を探る発想で見るなら、右に並べた二首の歌は、四句目の「向かへば」と「向かひても」が同じ動詞を用いている。ちなみに、竹本宏夫著『桂園一枝和歌の研究 その考察資料』を見ると、下句の「むかへば見ゆる」と「しら鳥の山」の類句は、『新編国歌大観』にも見えない。これは当然であるような気がする。前回も書いたが、「うづみ火の外に心はなけれども」と「むかへば見ゆる」という句を突き合わせる仕方の中に、「心」そのものを突き放して括弧に入れながら、それを見ているようなところがある。ほとんど禅茶の精神のかたちをとりながら、ここには意識の詩としての歌が立ち上がっている。それは近代的な自意識と同じものではないが、日本の思想・文学・芸能の歴史のなかで培われた自省する意識である。
>さて、ついでに石州の歌を読んでみたい。この人物は茶人ですぐれた総合芸術家だったが、有名な「石州侘びの文」は、本人作かどうか疑われるほど拙劣な印象を受ける文章である。けれども、一畳半茶法や遺言などの実務的な指示を書き付けた文章は、無駄が無く知的な文章である。石州のものとされている文章のなかで、どれが実際の本人のものなのか、どれが弟子や周辺の人々の手になるものなのかは、各論が分かれているらしい。
>桑田忠親の著書に掲載されている紀行文「宗関公御旅記」は、たぶんまちがいなく石州自身の書き物であろう。そこから歌だけを抜いてみる。
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小仏の山より末を見わたせば雪にまがへるたに川の波 |
たび人の道のつかれの眠をもさそふねざめの床の詠に |
たび乍木曾のかけはしみればたゞかゝる所も世にはありけり |
むすべなを浮世の夢やさめがいのきよきながれも後の世のため |
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片桐石州 |
>紀行には、このほかにもう二首歌が載せられている。掲出歌を見ればわかるように、どれも歌枕や地名を読み込み、古歌の字句を踏まえた素朴な詠みぶりのものである。この時、石州二十九歳。二首めの「たび人の道のつかれの眠」は、まさに実感だろう。どことなく微笑ましい歌だ。こうした紀行文や歌は、江戸期に大量に産み出されたもので、特別なものではない。大きく言うと、中世以後、こうした旅の経験を通して歌を詠むという行為が積み重ねられて、歌語の持つ閉鎖性を徐々に外光のうちに解き放った成果が、近世の「ただごと歌」へとつながって行ったと言えないこともない。
>石州の作品は、どれも定型的な発想の型を出ないのだけれども、三首めで「木曾のかけはし」を見ながら、こういう場所もこの世にはあるのだなあと詠嘆し、実感を吐露する平凡さは、現代でもしばしば見かけるものである。四首めの歌は、その前文を引かないとわかりにくいかもしれない。「十八日にも天能晴て、行に美濃国と近江の堺に家のあひだを流れて溝あり、寝物語といひならはせり。それをすぎ近江路へ越て、さめがいの清き流れをみれば、石にて作り奉りたるぢざうのまします御下よりわき出る清水なり。いとたうたくて、なをぞむすびける。」とある。「名を結ぶ」というのは、地蔵菩薩の前で陀羅尼を唱えて印を結んだのだろう。
>桑田忠親は、「万芸を学ぶことによって一芸の入神を怠らなかった当時の透徹せる文化人ぶりには、頭が下がる」(前出書)と言っている。現代の日本社会が必要としているのも、こうした人物である。
※補注 ↑
『茶席の禅語大辞典』を見ると、「一条の鉄線が千里も万里も真っ直ぐに続いているということ。念から念へ、雑念を混じえずに、正念が一貫して相続することをいう。『禅茶録』には、茶を点てる際、純粋に点茶の一事にのみ集中し、念を相続することを「気続点て」と呼び、禅茶の真髄としている。」とある。
08/10/10 up
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