太田水穂の選んだ景樹の歌

別に茂吉にいやがらせをしようと思ってこの文章を書いているわけではないのだが、茂吉と論争をして割りを食った歌人の筆頭に、太田水穂の名前をあげてもいいだろう。

昭和16年11月1日刊、つまり日米開戦の1ヵ月前に太田水穂は『新版日本和歌讀本』という本を出版した。一見すると教科書風な作りであるが、この本に示されている水穂の歌に対する見識は、なかなか聞くべきものが多い。同書の第六章「徳川時代の和歌」の三節が、「桂園派の樹立」で、小沢蘆庵…六帖詠草…香川景樹…桂園一枝…熊谷直好…浦のしほ貝…木下幸文…亮々遺稿、という小項目が立てられている。景樹については、次のように解説している。

景樹の歌風はその所説の如く用語、語法が自由と清新に満ち、思想感情も概ね自然で強ひて古風を模倣したところなく、仏教や心学の思想をとり入れたため今迄の歌に比して幾分深みが加わつてゐる。調べを重んじた点から調子が緊密でたるみがなくそれは古今風と言ふよりも新古今に近いと云ふべきであらう。荒々しい調べを嫌つたため雄壮といふ程のものは見ることが出来ないが、優雅でありながら確固たる響きのあるのは、彼の個性たる負けじ魂の現はれでもあらう。                    (同書186ページ)


水穂の「それは古今風と言ふよりも新古今に近いと云ふべきであらう」という意見は、卓見である。「優雅でありながら確固たる響きのあるのは、彼の個性たる負けじ魂の現はれでもあらう」という、人物像にまで踏み込んだ把握の仕方も良いと思う。

景樹の歌論が古今集を重んじたものであったために、どうしても景樹と言うと古今集の話になるが、それはむしろ正岡子規の言うことをすべて鵜呑みにした読者の謬見である。前回少し触れたが、景樹の良い歌の中には、万葉語を用いた新古今調とでも言うべき、近世の歌学の成果を存分に取り込んだものがある。

景樹の師である小沢蘆庵のそのまた師筋にあたる冷泉為村の歌を、小学館の新編日本古典文学全集『近世和歌集』で見た時に、私はなかなかいい歌が多いと思って心ひかれた覚えがあるが、その感じから推して、景樹の歌には、相当に癖のある新古今的な要素をものにしているところがあるようだ。それは蘆庵が学んだ系統の歌を、景樹がよく咀嚼していたためではないかと私は思う。これは、むろん冷泉為村その他の歌の再評価にもかかわって来る問題で、つまり彼らは、堂上だから陳腐でどうにもならない歌ばかり作っていたなどとは決して言えないということなのだ。

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話を元に戻して、水穂の引いている景樹の歌を書き写してみる。水穂の趣味と私の趣味は必ずしも一致するわけではないのだが、一応全首コメントを付す。


ともすれば霞のかげにかくれけり二つ双びの岡の上の松


四句めの「双びの」を東京アクセントで読むと、語頭に強勢が来て跳ね上がるような何ともいやな調子の歌になってしまうので、高低をつけずに関西風に読む。(念のため、結句は「オカノエノマツ」と読む。)そうすると、初句で「ともすれば」と散文的に入って、下句もさりげない嘱目のただ事の歌として読める。しかし、微妙に「二つ双び」と「双びの岡」が掛詞的に働いているので、地名の方に意識が向かうようだ。双の岡は、「双ケ岡」に同じで、『コンサイス地名辞典』で双ケ岡を引くと、双の岡の歌がのっている。ここで双岡に住んでいた隠者兼好法師への連想が働くのはやや俗な感じがする。この松は枝振りがいいのであろう。普段からそれが目に見えるのを楽しみにしている自分がいて、「ともすれば」それは霞にかくれがちである、という平坦な事実そのものを面白く感じている。霞は、風情をかもしだす和歌の伝統的な装置だから、そういう雅俗の混淆する味を出した歌として読むといいかもしれない。


ゆく水の末はさやかにあらはれて河上くらき月のかげかな


平淡に言葉を使っている歌だけれども、ゆらゆらと月光を照り返す暗い川面のイメージが浮かんでくる。前後を振り返ってみた時の明暗の対照を活写していて、少しも力みがない。いい歌である。


事もなき野辺をいでても見つるかな鵙の鳴く音のあはたゞしきに


初句の「事もなき」が雅びの詩の方を指向しないで、やはり日常平俗の事実に傾斜している。そう読めるのは結句の働きから来る。「鵙の鳴く音のあはたゞしきに」、はっとする神経は、十分に近代人的にぴりぴりと張っているところがあり、不安感のようなものを感取してみても読み過ぎてはないと思う。


うづみ火の外に心はなけれども向へば見ゆる白鳥の山


この歌については、すでに2回にわたって触れた。


おぼつかな木の間にみゆる三日月も消ゆばかりなる木枯の風


初句の「おぼつかな」を、惧れるようなこわごわとした共感をもって読むといいだろう。初句を軽くやりすごすと、どうしても絵の方が先にみえてしまっていけない。木枯の風のために三日月も消えるほどだという修辞は、西洋風の修辞に慣れた現代では珍しくもないのかもしれないが当時は目新しかっただろう。ただ注意して漢詩に当たるとあるかもしれない。景樹の歌には、「見ゆる」という動詞が多い。「〜が見える」というのは、歌のきっかけを題にもとめないで、実際の嘱目にもとめるところから来る作歌の態度である。題で作っても「〜が見え」た時のことを思い出して作るから嘱目の契機が失われない。


一かたになびき揃ひて旗すすき風ある時ぞみだれざりける


これもなかなか平淡な歌だが、調子は強いところがある。このストイシズムに浸透できると、景樹の歌はおもしろく読めるだろう。音律で言うと、初句から続くイ音の渡りに調べの特徴があって、その響きを楽しむ歌だ。「旗すすき」は万葉語で枕詞でもあるが、ここでは名詞として用いている。


今年よりあらたまるべき声すなり大内山の峯の松かぜ


『桂園一枝』巻頭の、どっしりとした柄の大きいところがあるハレの歌。大内山は、宮中を暗示している。松は景樹が好んだ木で、実に多く詠まれている。音律で言うと、初句から続くオ音が全体を統べており、これに反転してあらわれるア音が、合わさって読むときの心地よさをもたらしている。


いづくかは思ひのいへにあらざらむよそめ楽しき世にこそありけれ


どこに思い悩むということがない家があるだろうか。よそ目には楽しげにみえるというだけのことなのだ、というやや厭世的な内容の歌。他人をうらやむものではない、という教訓臭も感じられ、景樹が心学を取り入れていると水穂が言うのは、このあたりか。


大井川かへらぬ水にかげ見えて今年もさける山桜かな


二、三句めを装飾的な修辞として読まないで、人生的な感慨の入った歌として読む。そうすると、加齢に伴う感慨が胸に響いてくる。「今年もさける山桜かな」。何百年も日本人はこの言葉を口にしてきた。初句の大井川は、嘱目の経験を通過しているはずであるが、その痕跡は読み取りにくい。「かへらぬ水にかげ見えて」というところに読者が感情を乗せられるかどうかというところに、この歌の感受はかかっている。これは、やや謡曲の詞章を連想させるところがある。景樹にはそういう歌がかなりある。


富士の嶺を木のま木のまにかへり見て松のかげふむ浮島が原


いい歌だと思うが、「松のかげふむ浮島が原」を東京アクセントで読むと浮ついた調子になりすぎてしまうので注意する必要がある。「木のま木のまにかへり見て」に実地の嘱目の感じが残っていると言うべきで、四句めの「松のかげふむ」も実体験だろう。ただ四句めの三、四調がどうしても軽いので、二句めの「木のま木のまに」と合わせて一首から軽薄な印象を受けるところがある。何ということもない「松のかげふむ」という句を、なだらかに働らかせるところに景樹の独創がある。そうして二、三句は、言うまでもなく万葉集の歌のあれこれを踏まえている。結句の浮島が原をイメージできるかどうかで、この歌の印象は相当に変わって来るのだが、歌語として古めかしい「浮島」を単に古いと見ないで、「浮島が原」を実際にイメージしてみる操作がないと、現代の読者には、やや通俗的に感じられるだろう。そうして実際に、これは景樹の歌の模倣しやすいところでもあったのだ。

水穂の選は、私には少し物足りない。


09/01/10 up
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