『christmas mountain
わたしたちの路地』を読む、補記の2。
(2009年1月:澪標/1260円)
>例えば原爆を題材にした短歌や俳句を読むとき、私たちは作品評価の基準を作品に内在された想像力がもたらすリアリティに置くことが多い。そのリアリティとは、言葉によって再現することではなく、言葉による象徴性の表出がリアリティを担保する方向性に向かうのが通常である。いや、そのような方向性に向かうことで、「原爆」という言葉による再現の不可能性に対峙すること引き受けていると言った方がいいかもしれない。
>広島や卵食ふ時口ひらく |
西東三鬼 |
>地平より原爆に照らされたき日 |
渡邊白泉 |
>原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ |
金子兜太 |
>絵日記に幼な手の藍原爆忌 |
佐藤鬼房 |
>一房のぶだう浸せり原爆忌 |
原 裕 |
>ここに引用した5句の句で、原爆に対する直接的な批判のメッセージを読み取ることができるのは金子兜太の句だけである。兜太の原爆に対する怒りが句の骨子として明確に打ち出されているこの句は、それゆえに迷うことなく鑑賞することができる。しかし、他の4句は兜太の句のように迷いなく読み取ることができない。兜太の句のように「読み」の共同性が容易に成立するとは思えない句である。
>佐藤鬼房と原裕の句は鎮魂を読み取ることはできるだろうが、その鎮魂がどのように受け取られるかは読者の「読み」の恣意性に委ねられる部分が大きい。また、三鬼と白泉の句が内在する象徴性は、誤解すら招来しかねない詩的リアリティを内包している。
>しかし、これらの句が例外なく向き合っているのは、「原爆」という絶対性であり、散文化からこぼれ落ちる物象を掬い取ろうとする意志である。それゆえに、これらの句は言葉との遭遇から生まれる俳句的リアリティを提示している。俳句によってのみなし得る俳句的リアリティによって、散文化されない「原爆」という絶対性を象徴化しているのである。
>原爆を実際に体験していない者が「原爆」を題材にして句を作ることを否定することも、肯定することも可能である。しかし、これらの句は原爆の体験ということから発せられるメッセージとは異質な、俳句的リアリティの内部でのみ創造され得る詩の世界であることを理解しておかなければならない。「詩」の真実として提示されたリアリティとして受け取るべき俳句なのである。
>くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川 |
竹山 宏 |
>人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら |
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>原爆の死を傍観し来しものに死はありふれておそろしく来む |
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>一分ときめてぬか俯す黙禱の「終り」といへばみな終るなり |
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>おほいなる天幕のなか原爆忌前夜の椅子らしづまりかへる |
>長崎で被爆した竹山宏の歌には、短歌という詩型に体験の絶対性が内在されている。竹山の体験を抜きにして竹山の短歌を語ることはできないだろう。しかし、ここに引用した4首目と5首目の歌は、たとえ、竹山の被爆体験を知らなくとも基本的には歌の読みに支障をきたすことはない。もちろん、これらの歌にも竹山の被爆体験者としての視点が内在されている。その意味では、竹山の被爆体験を知ることで歌の読みが深まることも事実である。
>ただ、この2首は前の3首の歌とは異質な短歌的なリアリティを表出している。4首目の歌のリアリティは原爆忌に慣例化されている「黙禱」を描写することから生まれるものであり、5首目の歌のリアリティは原爆忌前夜の椅子を描写することから表象されるものである。4首目の歌が内包するセレモニー化された原爆忌への違和感、5首目の歌が内包する不気味な静かさが象徴する意味性は、被爆体験に必ずしも特化されるものではない。これらの歌には言葉による象徴性の表出がリアリティを担保する作用が働いている。
>しかし、その点だけに着目して、この2首と例えば次の3首とを比べたとしても、それらの歌は明らかに異質である。
>原爆忌昏れて空地に干されゐし洋傘 が風にころがりまはる |
塚本邦雄 |
>アトミック・ボムの爆心地点にてはだかで石鹼剝いている夜 |
穂村 弘 |
>燃え残り原爆ドームと呼ばれるもの残らなかった数多 を見せる |
谷村はるか |
>それを竹山の被爆体験という絶対性にもう一度還元して論じるのならば、「詩」の表現の問題からは遊離して行かざるを得ない。したがって、ここでの問題はあくまでも、短歌により「原爆」を詠うことによって、「詩」の問題を追求することである。そのためには、被爆体験のない者が、「原爆」を詠うべき「詩」とすべき根拠を確保していなければならない。
>短歌によってのみ可能な言葉の内なる「原爆」との遭遇、「原爆」を題材にした詠うべき「詩」は、被爆体験者がこの世から一人もいなくなるときに、さらなる、使命と意味を帯びることになるだろう。
>河津聖恵が『christmas mountain わたしたちの路地』において、「原爆」と「アウシュヴィッツ」を素材にした詩章に、石原吉郎の言葉を引用したのも、先の問題の延長線上にあるのではないだろうか。「原爆」と「アウシュヴィッツ」の交感に、石原のシベリアにおけるラーゲリ体験から導かれた言葉を挿入し、「原爆」と「アウシュヴィッツ」の交感というコードに、石原の言葉との遭遇から表出される詩的創造の詩句を付加すること。それによって、詠うべき「詩」としての意味を濃密にし、また詩の世界を拡張する。そして、詩によってのみ可能なリアリティを獲得する行為を内省し、それが、野樹の歌との言葉の交感の場を経て、他者に向けての言葉として詩的に昇華することを求める。
>「原爆」や「アウシュヴィッツ」という難しい素材に、詩的リアリティを付加する表現を指向した河津の方法が、石原吉郎の言葉を引用した詩章に典型的に表れているように私には思えてならない。
>最後に石原の言葉を引用して書かれた詩章を抄出する。(以下の詞章のうち、かぎかっこで示された石原の言葉の引用部分には、すべて傍点がふってあるが、残念ながら技術上の問題で表示できない。)
>白黒反転してしまった眩しい針の穴の視覚に耐えた詩人は書く
>「この地上に、もしも私という人間が現実に存在するなら、その人間はすくわれ
> ていなくてはならない」(一九五七年十月十三日)
>すべての文字に傍点を付けた重い一夜
>遺されたものの巨大な意志で小さな点に筆圧をかけた
>詩人自身が半ば以上「遺されたもの」だったから
>現実に存在すると傍点を打たなければ言えなかったから
>「もしも私という人間が現実に存在するなら」と
>「その人間はすくわれていなくてはならない」で傍点圧は大きくことなる
>ためらって手を休め夜空を見上げたか
>オモニの涙のように美しい星座を見つけたろうか
>次の瞬間つらい飛躍をしなければならなかった 手は深い穴に燃え落ちていった
>「僕は何をしているのでもない。ただ聖書を避けつづけているのだ。」
>「しかし、さらに重大なことは、僕が聖書を避ける以上、僕にとって聖書は存在
> するということである。」(一九六一年二月二十六日)
>このように全身傍点を点火された言葉が私たちには必要なのだ
>遺されたものの巨大な意志がそこからじっと見つめる、聖書
>焼けた懐中時計の炭の弁当の永遠に開かない、、聖書
>アウシュヴィッツでシベリアで焼かれた、、、聖書
(中略)
>また落ちてきたもうひとつぶの涙で溶けてしまう危機のシュミーズの、、、、、、、、聖書が
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