今野寿美著『歌のドルフィン』を読む。

 (2009年1月:ながらみ書房/2835円)


今野寿美の『歌のドルフィン』は、率直な語り口と探求心が見事に融和した、読み応えのあるとても気持ちの良い本である。この本を読んで私はすっかり今野の文章のファンになってしまった。

この本には短歌をめぐるマクロ的な問題とミクロ的な問題が、今野の問題意識に即して提示され、そこに生まれる疑問への率直な意見が示されている。もちろん、この本の魅力はそれだけにはとどまらない。今野の日常に根ざすエピソードが、短歌への問題意識とうまく融合しており、最後まで飽きさせることがない。そして、この二つの要素により、今野の人間的な魅力を文章から立ち上がらせている。


短歌の虚構の問題に関する文章を紹介したい。この文章で今野は、奈良橋善司著『短歌論 古典と現代』の「歌そらごと」という語に目をとめ、歌の「仮構」について思考を廻らしている。

折口の言を受けて奈良橋氏が、仕組まれた仮構も「文学が実人生をかかえこんだ『名残り』として読むべきだ」と言い換えるとき、そこには短歌の実作者の意識を覚醒させるくらいの意味がこもっていると思っていいのではないだろうか。作者をめぐる事実など、たしかに表現の意識をもってするのでなければ作品化の意味はない。その表現意識には個々の作者の現実認識も表現能力も言語感覚も反映されるだろう。ただ、それを自覚するかしないかの違いは途方もなく大きい。                   「歌そらごと」より



この文章で今野は、『奥の細道』の「仮構」について論じた折口信夫の言葉を受けた奈良橋に触発され、歌の虚構の問題に目を向けている。奈良橋が折口の言葉を言い換えたように、たとえ仕組まれた仮構であれ、それは作者の実人生を抱え込んだ「名残り」として読まれるべきであるとするならば、短歌の実作と解釈に関する価値観は様変わりするだろう。

そして、この問題は「仮構」についてだけ特化されるべきものではなく、リアリズムをも含む表現全体の問題として論じられるべきものである。そこに、今野が奈良橋の言葉に触発され、実作に関して歌人の覚醒に触れた意味がある。

また、短歌の作中人物が「仮構」されたものであるという認識は、歌人にとって未だに確定的なものではない。短歌を「私」性の文学であるというとき、その「私」が内包する意味をどのように認識するのかということは、歌人の性格をも決定するものであり、歌の実作と解釈に反映する。その点をも含め、今野がこの文章で提示した問題は、さらに掘り下げられるべきである。

なお、今野はこの文章で、作者と歌の作中人物との関係性に基づく解釈について、折口の歌を鑑賞した性格の違う二著を紹介し、歌の読みに関する「仮構」の問題を敷衍している。


次に紹介するのは啄木の歌の文体に関する興味深い文章である。今野は啄木の歌の特徴を「口語的な発想をしながら叙述はあくまでも文語で締める」ところに見出し、啄木の歌の親しみやすさにつながっていることを発見する。さらに、啄木が自分の好みに合わせて、柔軟性に富む文語表現を実践しているのを例示し、そのような語法が現代短歌にも流れ込み影響を与えていることを示す。

こうしてみると啄木は文語による短歌文体を排除しようとはしていない。温存して口語発想を持ち込みながら、いってみれば語法の規制緩和にこそ意欲的だったようなのである。(中略)
同じカリ活用のつながりで打消の助動詞「ず」の終止形として「ざり」を使う例も『一握の砂』に三首ある。〈はたらけど/はたらけどなほわが生活くらし楽にならざり/ぢつと手を見る〉など、すっかり人口に膾炙しており、「ならざり」という言い止めを疑問視することは、まずない。(中略)
ただ、見直しておきたいのは、啄木が新しさを意識して固有の短歌文体を実践するときに、文語を排することなく、緩められそうなところを緩めて特徴的な語り口を定着させたと思われるところである。啄木の歌が広く愛誦されるに及んで、そのスタイルは現代短歌の中にも着実に流れ込んでいる。口語発想の文語文体なんて、ほとんど現代短歌の基本かもしれないのだ。啄木がみずから文語文法に規制緩和を施したということは、表現者の姿勢としても後世に影響したと思う。
                      「口語発想の文語文体 ―啄木の短歌―」より


今野の文章は啄木の歌の特徴を文体と語法から語り、魅力と示唆を兼ね備えたものである。啄木の特異な語法に疑問を抱きながら、それ故の啄木短歌の特質と現代短歌への影響力に戸惑いを見せつつ、真摯に歌に向き合う今野の姿勢に共感した。

この本には多くのことを教えられ、読んでいて楽しいエピソードにも事欠かないが、私には耳の痛い話題も少なくなかった。例えば、「煩わしい『させていただく』」や「短歌とカタカナ語」を読むと、日頃の自分の書き癖が省みられて恥ずかしくなってしまった。

また、「俳句とエロティシズム」については、この文章で紹介されている俳文学者の福本一郎の説に疑問を抱いた。福本が日野草城を「エロティシズムを形象化し得た俳人」として評価するのはいいとしても、虚子は「草城の示した新しい俳句世界の魅力をじゅうぶん察知し得た」ので、「それが広く俳句世界に受け容れられたら『花鳥諷詠』の概念を一変してしまう可能性、危険性」を危惧した、という点は果たしてどうだろうか。

虚子が草城をホトトギスの同人から除名したのは、草城の無季俳句の推進や「ミヤコ・ホテル」の連作が虚子の俳句観とまったく相容れないものであったからで、それ以上でも以下でもないように私には思われる。

「花鳥諷詠」は詩歌の伝統に基づいた俳句本来の性質を説明したものである。虚子にとっては「花鳥諷詠」から逸脱する俳句は存在しないに等しい。そのような虚子が、草城の句に「花鳥諷詠」の概念を一変してしまう可能性や危険性を感じたとはとても思えない。

また「ミヤコ・ホテル」は、草城の句の中でも特異な位置を占めている連作である。むしろ、その特殊性ゆえに毀誉褒貶に曝され、話題にされたという側面が大きい。そのような特殊なテクストが「花鳥諷詠」の概念を一変し、広く俳句世界に受け容れられ、多くの俳人に影響を及ぼすとは考えられない。

晩年の草城は「花鳥諷詠」に回帰し、ホトトギスの同人に復帰したという。これは一体何を意味しているのか、私にはこちらの方が興味深く思われる。 

いささか本旨を逸れて福本の説にこだわりすぎてしまった。この問題については、福本の著書『日野草城 俳句を変えた男』を読む場で、いずれ批評を行いたいと思っている。


最後に「改作・改訂の妙」に触れておきたい。この文章は小説や短歌の改作、改訂について話題にしたものである。

実はこの文章の最後に私に対する今野の質問が記されている。それは、山中智恵子の問題作「雨師すなはち帝王にささぐる誄歌」の改作をめぐるものである。(「連作の構造とは何か―山中智恵子『雨師すなはち帝王にささぐる誄歌』の改作について」「短歌往来」2007年4月号所収)

山中はこの連作の初出を発表してから歌集集録の間に、細部に亘る改作と配列の変更、歌の増補を行っている。

そして、そのような改作の中でも不思議なことに、次の歌は初出を改作した後、第12歌集『夢之記』の表題作「夢之記」の中に挿入されているのである。初出と改作を提示する。


雨師として祀り捨てなむみはふりに氷雨は過ぎて昭和終んぬ

「雨師すなはち帝王にささぐる誄歌」の初出冒頭歌

雨師として祀り捨てなむ葬り日のすめらみことに氷雨降りたり

連作「夢之記」挿入改作歌



今野の質問はこのような改作後のテクストの「雨師」から「夢之記」への移動は、歌集の重層性のためだったのでしょうか、というものである。

結論から言えば山中の意図ははっきりとはしていない。しかし、「夢之記」には次の2首もあり、先の歌の移動がまったく唐突な行いではないことを証している。


深沓ふかぐつをはきて昭和の遠ざかる音ききすてて降る氷雨かも

天彦ときみなりたまふ夕虹の消えゆく方を立ちて歌はむ



「夢之記」の冒頭歌は「短歌への最短距離を生きてきてとほく日常をとほざかりぬる」である。そのことを考え合わせると、この連作は歌集『夢之記』のプロローグとして意識的に提示されたものではないだろうか。そして先の歌の移動は、歌集『夢之記』の性格をプロローグで示す、一つの重要な要素であったとも考えられる。

この歌と連作の構造に関しては、歌集『夢之記』の全体的な構造分析に敷衍しつつ、改めて分析してみたいと思っている。

さて、『歌のドルフィン』には多くの問題提起と興味深い話題が満載されている。歌人に限らず、一人でも多くの人に手にとってもらいたい好著である。


09/08/24 up
09/08/25 am11 改訂
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