品田悦一著『斎藤茂吉』を読む。その2

(『斎藤茂吉』品田悦一著 2010年6月 ミネルヴァ書房刊 3150円)


茂吉の短歌を分析することから一般化された茂吉像を解体し、新たなる茂吉像を構築する品田の評伝は、茂吉の短歌は読んでいても、茂吉に関する生半可な知識しか持ち合わせていない私などには、驚きの連続である。品田が当時「『赤光』に「万葉調」からの離反を看取したのは、著者本人を除けば前述の金沢種美たねとみくらいではなかったか」というとき、『赤光』の歌風が「万葉の古調に近代感覚を盛った」という定評の根強さが現在まで続いていることを改めて考えさせられる。

金沢種美の『赤光』評を、品田の著書から引用する。


貴方が此の集の中程に於て、突然その作風を改められたのはう理由があつての事なのでせう?ママを換へて云へば、貴方は何故に従来の万葉調を捨てゝ現今の作風にお移りになつたのでせう、その動機が御伺ひしたいのです。 
    (金沢種美「『赤光』を読みて後の心」『アララギ』赤光批評号(2)、第三章より)



金沢種美は尾上柴舟門で、茂吉より7歳年少の歌人であるという。金沢にこのような指摘ができたのは、茂吉の歌に最も初期のころから親しんでいたからのようである。

また現在の注釈では塚本邦雄の『茂吉秀歌『赤光』百首』が、「異化」という見地を前面に打ち出したものではないが、それに該当する記述が随所にあり、「作品を作者の心情に還元して理解してきた従来の傾向に抗して、ことばの放射するものに正面から向き合い、異様な美に肉薄してみせた同書は、時に見受けられる独断や逸脱を措くとすれば、間違いなく画期的な著作であった」として、「その点、私の『赤光』理解は塚本の亜流でしかないような気もするのだが、少なくとも万葉語の詩的効果については、いくらか新見を示せるだろうと考えている」という率直な意見も金沢の引用文の直前に記されている。

品田が例示している『赤光』所収の異化の歌の中から2首を引用する。


赤茄子の腐れてゐたるところより幾程いくほどもなき歩みなりけり

めんどりら砂あびたれひつそりと剃刀研人かみそりとぎは過ぎ行きにけり



茂吉を代表するこれら2首に、品田は精緻な分析を施し、これらの歌がいかに異様な構造を持っているかを丁寧に説明している。その詳細は品田の著書に実際に当たってもらうしかないが、作中主体の位置、言葉使いの異様さ、造語、異常な文法的な用法の指摘、万葉語と非万葉語の不協和音など、茂吉が内在する特異な言語感覚が「異化」の歌をどのような構造のもとに創造しているかを証してゆく。特に万葉語と非万葉語を衝突させる茂吉の手法の分析は圧巻で、『赤光』における『万葉集』(万葉語)の意味を言葉の問題から先鋭的に提示している。

しかし、古語(万葉語)の効果が「万葉語と非万葉語の不協和音」、即ち言葉の異化にあることを見誤った茂吉は、自身の進むべき道を万葉調の純化に見出し、『赤光』で感覚的につかんでいた異化の手法を発展させるのではなく、狭く限定する方向に進み長期のスランプに陥り、昭和初期に立ち直ったときには『赤光』の茂吉ではなくなっていた、と言う。

歌人の中でも『赤光』とそれ以後の歌集、特に最晩年の『白き山』、『つきかげ』への評価は分かれているが、品田が『赤光』の歌に茂吉の本来的な創作者としての姿を見出そうとするところに私は強く共感する。

さて、『赤光』刊行後の茂吉と万葉集の関わりがいかなる変化を遂げて茂吉の最晩年に到るのか。『万葉集の発明国民国家と文化装置としての古典』を背景にした茂吉評伝は、『赤光』刊行後から新たな展開を見せてゆく。

ここでも従来言われていた一般的な茂吉像とは異質な姿が提示されており、茂吉ファンはもちろんのこと、それ以外の多くの読者に手にとって頂きたい評伝の枠を超えたすぐれた茂吉論である。

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さて、本連載は著者の体調不良によりしばらくの間休載させて頂くことになりました。これまでにお読み頂いた読者の皆様にはたいへん感謝申し上げます。ありがとうございました。



10/06/28 up
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