佐藤弓生第三歌集
『薄い街』を読みながら。

佐藤弓生著『薄い街』(2010年12月:沖積舎/2940円)


佐藤弓生の短歌に初めて魅せられたのは、2001年9月に第一歌集『世界が海におおわれるまで』と、第二詩集『アクリリックサマー』が同時に刊行されてからであるから、もう10年の月日が流れている。だがその前に「かばん」誌上で読んでいたようにも思われるので、これは正確な記憶ではない。

私の手許にあるこの2冊の本には、読んだ当時の付箋がそのまま付けられていて、10年前の私が佐藤のどのような歌や詩に反応したのか、その跡を辿ることができる。

例えば、次のような歌に付箋を付けている。


パパの手は煙となって@ただいちど春の野原で受けた直球

全身に蝶番軋ませてくるあなたをどうして拒めましょうか

テーブルに滴と蝿と向きあってまた永遠が見つかったの?

肺腑まで霧ふれてくる葦原に黒い小鳥ののみとの発火

形而上好きをゆるされ少年らきらきらと散る遊糸ゴッサマーのごと

「夢といううつつがある」と梟の声する@ほるへ@るいす@ぼるへす

オルガンがしずかにしずかに息を吐くようにこの夜を暮れてゆきたい


一首目は巻頭歌である。おそらく私はこの歌を読んで、たちまち佐藤の歌の世界に魅せられたのではなかっただろうか。この歌の儚さは何だろうと思いつつ、私は歌集の扉を開いたように思う。そして、今日まで、佐藤の歌が内在する儚さは、形を変えながら私を捉え続けている。

佐藤の短歌は言葉の発する薄明かりに包まれている。その薄明かりは、知性や身体性、終末感をも内包するものだが、詩性のフィルターを通した言葉から、自ずから滲み出ているものである。短歌を作ることで歌人と言われる者は多いが、言葉に詩の生命を与え、詩の光に包まれた短歌を創ることのできる創作者は限られている。その数少ない歌人の一人が佐藤弓生である。

佐藤は歌人である前に既に詩人であった。私家版第一詩集『月的現象』を1990年沖積舎より刊行し、翌年その増補改訂版を『新集@月的現象』として同じく沖積舎より刊行している。私はその新集の方を最近手に入れ、佐藤ワールドの原点と言ってもいい詩の世界を楽しんでいる。

第三歌集『薄い街』は、「少年ミドリと暗い夏の娘」という、詩人左川ちかをめぐる文章で扉を開く。これにはちよっと面食らったが、久しぶりに書棚から『左川ちか全詩集』を探し出し、座右に置いて『薄い街』を読み続けた。

佐藤はこの文章を次の言葉で結び、最後に短歌を一首配している。


明治の終わり、冬の終わりに生まれた子どもが、その後のめまぐるしい生命や文化の開花をおそれつつ、懸命に見つめたこと。ミドリという名の少年を知る詩人の思いつめた目を借りて、あるひとときの終わりのための反歌を、始めたい。

透明を憎んで木々はこれほどにふかいみどりに繁る@見よ@見よ



詩人左川の思いつめた目を借りて「あるひとときの終わりのための反歌」を、始めるとはどういう意味なのだろうか。私には「あるひとときの終わり」が何を指すのか、はっきりとはつかめなかった。左川の詩を通して内在化された左川の目を借り、佐藤の存在と共にある固有の現代社会や、終末感、生活、生命のある限られた時間に向けての反歌を創るということなのか。しかし、それについてはあまり自信がない。

この文章には、左川が、緑という色に対して強いオブセッションを抱いていたことを、詩の部分を引用しながら導き出している。「病みがちだった彼女にとって、緑色に象徴される生命の暴力は、おそれの対象だった」というのである。しかし、少年ミドリは恐怖の対象として描かれているものではない。「年齢上、性別上なりかわることのできない存在の幻想。叶わない不死の幻想」であり、死を予期し、緑の生命力をおそれ、死も生もおそれた左川の「袋小路を脱出するという奇跡が、ミドリという名の少年に託されたように思えてならない」というのだ。

この少年ミドリに対する佐藤の考察はとても興味深いものである。緑という言葉の分析を通して、佐藤は左川ちかという詩人を自己に内在化しているようにも思われる。

『新集@月的現象』を読むと、佐藤も緑という言葉を詩の中にいくつか使っている。その中には「緑の炎」という言葉を含む詩もある。その詩が、左川の「緑の焔」という詩と何か関係があるのかどうかは、はっきりとはしない。ただの偶然かも知れないし、左川の詩を読んだ後に、印象に残っていた言葉なのかも知れない。しかし、偶然ではあっても、この文章を読んだ後で佐藤の詩を読み直してみると、佐藤の緑という色に対する、表現上の距離の取り方に興味が湧いてくる。

佐藤がこの文章に引用した左川の詩「緑の焔」の部分と、佐藤の詩「鬼火」の全文を並べて引用してみたい。


私はあわてて窓を閉ぢる@危険は私まで来てゐる@外では火災が起つてゐる@美しく燃えてゐる緑の焔は地球の外側をめぐりながら高く拡がり@そしてしまひには細い一本の地平線にちぢめられて消えてしまふ
                                        「緑の焔」部分


氷菓子を食べすぎた日の晩のこと。
窓はみな瞼を閉じ、瞼のない街灯は目を開けたまま眠りこけていた頃、くろぐろと広がる瓦屋根を飛び石に、ひょいひょいと夜の河を渡るものがあった。それは緑の炎の残像を散らかし電線をもつれさせながら三マイルばかり南下すると摩天楼の常夜灯が赤くまばたく隙をぬって橙色の凍原が開ける月の地平線をひらりと越え、いっぽう自分の足下には燐寸マッチの燃えさしが落ちていた。
                                            「鬼火」



左川が「緑」という色に対してオブセッションを抱いていたとするならば、佐藤の場合はどうなのだろうか。この詩を読む限りは、「緑」に関する特別な思い入れがあるわけではなさそうである。鬼火の炎を表現するのに使用したという意味以上に、この色に感情的な側面が付与されているようには思えない。それにしてもこの詩の最後のフレーズは見事である。一気に幻想的な詩の世界が引き締まった。

また、「夏の窓辺」という詩では「緑」が次のように使われている。「天井いっぱい緑の帆をひろげて/木洩れ星を描く 四角い海の底」。これも、詩の表現上の問題が主であり、「緑」に対する感情的な側面は付与されているとは思えない。

その他には「クロエーにうすみどりの葡萄」(「天秤」より)、「葉っぱの緑は濃くなりすぎた」(「九月の誕生日に」より)、「鍵のかかった縁側の外で/高く低く緑ゆれる」(「夕暮れの家」より)、「えだのみどりの まにまに/あかちゃんの芽が ひらくよ」(「クリスマス・ツリー」より)、「水の代わりに草花が川底に緑の衣をかけていた」(「あとがき――月的断章」より)のように、「緑」が使われているが、左川の「緑」を連想させるものは存在しない。それは初めから分かっていたことかもしれないが、「少年ミドリと暗い夏の娘」を読んだ後に、『新集@月的現象』を読んだので、妙に気になったのである。

さて、「少年ミドリと暗い夏の娘」の最後に配された歌だが、この歌は、反歌でありながら、反歌の世界の始まりを告げる序歌に位置付けられるものなのだろうか。歌の意味を離れて、この歌を鑑賞すると、これから始まる反歌の世界を「見よ@見よ」と強調されているようにも受け取れる。

次回は、『薄い街』の歌を読んでゆきたい。




11/06/24 up
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