短歌の「伝統」について、その4。
>短歌の「伝統」の問題は、容易に答えを導き出せるようなものではない。それは、歌人に都合のよい創作に対する免罪符であることを拒否する。個人の問題意識を超越する側面を内包し、それゆえに、個々の歌人が自己の創作の「現在性」に引き付けて、意識化しなければならないものである。
>歌人は短歌が千数百年以上の「伝統」を内在化していると安易に語るべきではない。和歌から現代短歌への歴史は、確かに三十一音であるという形式は保有した。しかし、同質の詩性を保有し継承したかどうかは別の問題である。
>2008年2月3日の東京新聞の特集に、「京都創生東京講座『不易流行の京都』」(京都市主催、東京新聞共催)の講演記録が載っている。その講演の記録の中で最も興味深かったのは、藤原定家の末裔である冷泉貴実子さんの話だった。貴実子さんは太陰暦の話をした後、定家、貫之、実定の歌を引用し※、次のように説明する。
このように、季節感を共有するのが日本文化。現代短歌は、私とあなたは違うというのが前提。私とあなたは一緒というのが和歌です。千年前だって梅に必ずうぐいすがいたわけではない。でも、そこに何とも言えない春や秋を感じるのが、日本の美意識、文化だと思います。
>この話から最初に私の念頭に浮かんだのは、俳句のことであった。いや、もっと正確に言うと、俳句が最も尊重するのが「季題」であるということである。
>現代においても俳句の「歳時記」は、旧暦(太陰暦)に基づいて季語が記載されている。そして、夥しい先句によって、歴史的な連想を内包した季語を中心とし、俳句は現在も作り続けられている。そこには、過去と現在を繋ぐ共同性と歴史性が存在しており、伝統俳句はその共同性と歴史性を尊重する創作行為に重きを置く。
>つまり、有季定型の俳句は、創作の一回性の内部に、共同性と歴史性を共に内在化させているのである。
>和歌から連歌、連歌から連句、そして、連句から分離した発句から近代俳句へと、季語が時間と共に内在化した共同性と歴史性の内部に和歌の詩性が潜在的に息づいていたとしても不思議ではない。
>高浜虚子は「花鳥諷詠」について、昭和2年6月1日の山茶花句会の講演で次のように語っている。
花鳥諷詠と申しますのは花鳥風月を諷詠するといふことで、一層細密に云へば、春夏秋冬四時の移り変わりに依つて起る自然界の現象、並にそれに伴ふ人事界の現象を諷詠するの謂であります。
>この言葉をさらに敷衍すれば、虚子が「花鳥諷詠」という言葉で象徴的に語ったのは、まさに、和歌の伝統的な詩性を俳句という詩型の性質に則して活かす詩的世界ではないだろうか。
>短歌革新運動により桂園派を否定し、『万葉集』を尊重した近代短歌が、その後、俳句から『古今和歌集』以後の和歌の詩性に、間接的に感化を受けたとしてもけっして皮肉でも何でもない。
>斎藤茂吉は長塚節の歌について、次のような解説を行っている。
根岸派の歌は初期には虚子・碧梧桐両氏なども交つて歌俳同体であつたが、後になるほど分化した。併し長塚氏などは芭蕉の真髄を常に歌に取り入れてゐたのである。(岩波文庫『長塚節歌集』解説、原文正字)
>また、同じ文中には、長塚節の次の言葉が引用されている。『俳句の基礎は全く写生であつた。歌が俳句と甚だしく基礎を異にして居るべき理由はないやうに思ふ』これらの言葉から短絡的に、長塚節が俳句に潜在的に内在化されている和歌の詩性を吸収したというのは、やはり早計だろう。「芭蕉の真髄を常に歌に取り入れてゐた」という言葉など、節が蕉風を短歌に活かすために努力したと考える方が自然である。
>しかし、そうではあっても芭蕉の俳句を通して、『万葉集』とは異質な和歌の詩性に間接的に感化されていたのではないか、ということは否定できない。それは、『古今和歌集』などから直接受ける影響とは異質な共同性と歴史性を帯びたものである。
>冷泉貴実子さんの話の中にある「私とあなたは一緒」という共同性は、現代の共同性とは異なる。また、俳句の共同性とも、階層や価値観を異にしている。しかし、それらの差異を超えて、その詩的本質が「季題」という形で継承されているとするならば、短歌の「伝統」の問題はこの側面からも再考されなければならないだろう。
>確かに、多くの現代短歌は、和歌の「伝統」からは遊離している。いや、私たちの短歌は『古今和歌集』以後ではなく、『万葉集』に直結しているのだと抗弁したとしても、その『万葉集』の価値観が近代の制度の内部で「発明」されたものであるとするならば、それは現代短歌が近代によって創造された「伝統」を継承しているのであって、千数百年の和歌の歴史、詩性の「伝統」を継承していると言うことではない。
>冷泉貴実子さんが言うように、「現代短歌は、私とあなたは違うというのが前提。私とあなたは一緒というのが和歌」であるとするならば、短歌は短歌自体の内部で、二度と和歌の詩性に遭遇する手立てを失ってしまったと言うことだろうか。
>これについては、ここで安易な答えを出したいとは思わない。短歌の「伝統」について、次回も継続して考えてみたいと思う。
※冷泉貴実子さんが話の中で引用していた歌は以下のとおり。
何となく心ぞとまる山端に今年見初むる三日月の影 | 藤原定家 |
夕月夜小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ | 紀 貫之 |
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる | 藤原実定 |
08/02/11 up
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