子規のガラス戸(7)
ガラス戸の句

以前にも書いたが、紹介してきた13首以降にも子規はたくさんのガラスの歌を詠んでいる。明治33年のものだけで31首。ちなみに、この年に詠まれた全歌数は588首であったから、およそ5パーセント。俳句はどうか。同じ明治33年の全句数は641句。対して、ガラスの句数は4句。極めて少ない。以下がその4句である。


ガラス越に日のあたりけり福寿草(新年)
ガラス戸の外を飛び行く胡蝶哉
(春)
山吹と見ゆるガラスの曇哉
(春)
ガラス戸や暖炉や庵の冬構
(冬)
 
一句目は、同じ新年に詠まれた、13首中の一首、

病みこやす閨のガラスの窓の内に冬の日さしてさち草咲きぬ

と、内容が対応している。「さち草」は「福寿草」のことだ。私はこの歌を紹介したときに、以下のように書いた。

この連作のすぐ後には「鉢に植ゑしことぶき草のさち草の花を埋めて雪ふりにけり」という歌もあり、観賞用に鉢に植えられていることがわかる。また、雪に埋もれる、というのだから外に置かれている。ただ、鉢であれば移動が可能なので、この歌では、鉢を室内に置いていたのか、あるいは屋外に置いていたのかで、歌の読みがかわってくる。私は、後者でとりたい。「窓の内に冬の日さして」という、室内と、窓を透して見える屋外の景色の両方を描くことで、ガラス窓の特性が自然描き出されているように思うからだ。


今回、この句を読むと、この「福寿草」はやはり「窓越」に置かれていたのだということがわかるのだ。子規の短歌と俳句にはこのように、モチーフが対応している場合が多く、両方を読んでいくことで、立体的に背景が見えてくるおもしろさもある。つまり、子規はある程度、同じ興味にのっとって、作歌や作句をしている。同じ作者なのだから当然のことだ。にも関わらず、と私は思うのだ。なぜ「ガラス」を詠み込んだ歌と俳句の量がこれほどまでに違うのか。

実はこの疑問は「燈炉」や「暖炉」について、長々書いていたときに湧いて出てきたものなのだ。「燈炉」や「暖炉」の場合には「ガラス戸」とは逆に、俳句に詠まれることが圧倒的に多い。「燈炉」の短歌はいくら探しても見つからない。あるのは「ガラス戸」の歌ばかり。ふと、思い当たったのが、子規はもしかすると、モチーフによって、歌と俳句に遣いわけていたのではなかろうか。という疑問であった。もちろん、俳句と短歌では、そもそも季語があるかないかの違いがある。「燈炉」や「暖炉」は俳句においては季語として機能することができるから、俳句に詠まれることが多いのはそれなりに納得できる。上に挙げた4句を見てみると、それぞれ、「福寿草」「胡蝶」「山吹」「冬構」という季語が導入されているから、このように短歌よりも短い俳句において「ガラス戸」を詠み込み、さらに季語を入れるとなると、バリエーションを出すのはなかなか難しかったのかもしれない。とはいえ、子規はそんなバリエーションのことなんかにこだわるだろうか。子規の歌だけ見ても、繰り返し、同じモチーフ、同じ場面をよくも飽きずにというほど詠っている。

次回はこの辺の疑問をもう少し掘り下げてゆければと思う。



10/11/15 up
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