子供を育てる農村の暮らし 1
(2006/07/15)


ホタルのいのち
 私たちの農園周辺の水辺では、梅雨どきになるとホタルが夜を彩ります。山の家の庭にも、ときどきはぐれホタルが訪れ、闇の中にスーと光の線を引いていきます。

 孫たちがまだまだ小さかった頃、ホタルを捕まえにいって、居合わせたおじさんに「ホタルはすぐに死んでしまうから捕まえてはいけないよ」と叱られたことがありました。でも、お友達に見せたくてがまんができず、おじさんが帰られてから5匹捕まえて帰りました。1ヵ月ほどして「ホタルが死んじゃたよ。でも、大事にしたから長生きしたんだよ」と孫から電話がありました。
 その後、死んだホタルを土に埋めてお墓をつくったそうです。叱ってくださったおじさんのおかげで、孫たちはホタルとしっかり付き合い、いい思い出ができたと思っています。

 私は40年間の生活改良普及員としての経験を通して、農村で育つ子どもたちの様子を眺めてきました。豊かな自然の中で遊びつつ育つ子どもたち、農作業を手伝い家族が働く姿を見ながら、何が大切かを知って育っていく子どもたち、多世代家族が助け合い尊重しあう暮らしの中で、優しさと思いやる心を育てる子どもたち、そして、村社会の中で、異年齢の多くの人たちとかかわりながら、自分の居場所を見付けていく子どもたちのたくましさに、心を動かされることがたくさんありました。

 母親と幼い弟妹を、家に火をつけて殺してしまった16歳の青年の、心の中を探ろうとするニュースが繰り返し伝えられていた6月28日、朝日新聞に「思い詰めず電話して」という記事が載っていました。親にも教師にも言えない話に耳を傾けてくれる「チャイルドライン」(全国に54団体)に、子どもたちから年間12万件を超える電話がかかってくるというのです。

 「学校はいやだ。行くと心がペシャンコになる」「パパとママが仲良く二人で出かけた。私ひとりぼっちで留守番、さびしい。あっ、帰ってきた。もう大丈夫だよ」「たいへん、私たちがいじめてた子が自殺しちゃった」「妹のことが性的に気になる」など、子どもたちの心の闇の重さに驚きます。

 大切なものを見失ってしまった社会のしっぺ返しが、子どもたちを通して私たちに突き付けられているのでしょうか。
 今こそ、農村が持つ温かくて厳しい子育て機能に学びたいと思うのです。そして、農村の暮らしの中から、子育てのキーワードを見付けてみようではありませんか。


自然が彩る遊びの舞台
 農村の子どもたちも、もちろん現代社会の中で暮らしています。がんばってもなかなかついていけない授業と毎日出される宿題に追われ、「学校は楽しい」と言い切れない子どもたちも増えていることでしょう。また、コンピューターのゲームに熱中し、メールを使いこなす現代っ子でもあります。
 しかし、それと同時に農村には、楽しく子ども時代を過ごすための舞台として、たくさんの不思議に満ちた自然が広がり、子どもからお年寄りまでそれぞれの役割を果たしながら「お互いさま」で暮らす地域があります。

 梅雨空のもと、自動車の通る道を避けて山裾のくねくね道を子どもたちが帰っていきます。10人ほどの子どもたちは色とりどりのかわいい傘をさし、にぎやかに笑いあったり追いかけあったりしながらの下校です。

 山裾のあちらこちらに山アジサイやホタルブクロが咲き、ときどきカエルが飛び出してはあわてて田んぼに飛び込みます。その田んぼはしっかり株を張った稲におおわれ、雨にぬれて深みをまし、緑のじゅうたんのように広がっています。

 一年坊主が大きなかたつむりを見付けて友だちに投げようとしたとき、「かわいそうよ。やめなさい」と6年生のお姉ちゃんに叱られました。カッパを着て田畑を見回っていたおじいさんからも、「いたずらせんと、気いつけて早よ帰れよ」と声がかかります。農村の子どもたちにとって30分はかかる登下校の間も、自然の中での楽しい遊びの時間なのかもしれません。

 山裾のどこに何時どんな花が咲き、秋になったらどんな実を付け、それはどんな味がするのか。あの山の上に登るとどんな風景が広がり、どんな風が吹いているか。そして、山の裏側には大きな洞穴があって、そこには冷たく湿った空気がひそんでいて、足を踏み入れるとぞくぞくっと体が震えることも子どもたちは知っています。

 村で育った先輩であるお父さんや大先輩のおじいちゃんから、昔、その洞穴には白い着物を着た行者さんが住んでいて、いつもお経を唱えていたこと。こわごわみんなで覗きに行って心臓がドキドキしたことなどが語られ、子どもたちの心は不思議な空気で膨らみます。


農とかかわりながら育つ子どもたち
 昔農村では、子どもたちも農作業の大切な働き手でした。春と秋の農繁期には学校も農繁期休み、田植えのときの苗運びや、田刈りのときには刈り取られた苗束を干し場に運んだり落ち穂拾いをしたり、家族の一員として働きました。

 こんな子どもの頃の経験は、しんどかった思い出として残っているでしょうが、「助かるよ、ありがとう」と、汗まみれの顔をほころばせたお母さんの顔も忘れません。そして、自分もがんばったという自信のようなものが、心の底に残っていることでしょう。

 暑い盛りの夏休み、畝の間まで埋め尽くすように伸びたサツマイモのツルを、畝間にまで根を張ってツルばかりはびこらないように、畝の上に引き上げるのも子どもたちの仕事でした。霜柱の立つ寒い季節には、おじいちゃんやおばあちゃんと並んで麦踏みを手伝いました。このように、四季折々に子どもたちの手間が必要な仕事がありました。

 農作業を手伝いながら、田植えの終わった田んぼで一斉に鳴き出すカエルたちの歌を聴き、オタマジャクシと遊びます。サツマイモ畑から飛び出すバッタやコオロギを追いかけ、冬の朝、きらめく地面を踏みつけたときの霜柱の折れる音、冷える足の感覚や手袋をはめていても染み込んでくる寒さなど、季節の移ろいや自然の厳しさを感じ、五感を豊かにしながら育ちます。そして、働いたことが実りとなって報われる喜びも知ることができました。

 今では農作業も機械化し、子どもたちの手伝いが必要な仕事も少なくなり、農作業を手伝うより「勉強しなさい」といわれることのほうが多いことでしょう。でも、兼業農家であっても自家用のお米や野菜をつくっています。

 農作物は、工場でつくる製品のようにはできません。土を耕しタネを撒き、水をかけてやると芽が出て、肥料を与えてやると葉を繁らせて花を咲かせ、時がくれば豊かに実を結ぶことを子どもたちは知っています。ときとして自然が猛威をふるい、大切な作物を根こそぎにしてしまうことも。

 そして、よい実りを得るために土を耕し草を抜き、世話をするおじいちゃん、おばあちゃん、お母さんの苦労も日々の暮らしの中で見聞きして育ち、自然の豊かな恵みと家族が力を合わせて働いた結果としての実りである野菜やお米などを大切にする心も育まれていきます。

続く⇒