収穫を大切にする中秋の暮らし 1
(2006/10/15)


 9月の初旬に、関西国際空港の近くの泉州地域の親しい農家からサトイモが届きました。ダンボールの箱を開けると、ぷっくり膨らんだ大小の子イモが5〜6個くっついてしっとりした黒土を付け、掘り上げられたままの姿で詰まっていました。さっそくその日の夕食に、サトイモのたっぷり入った豚汁と「かやくごはん」をつくりました。

 ある農家の女性から「かやくごはんの具として、ゴボウとニンジン、かしわ(鶏肉)と薄揚げは欠かせないけれど、春はタケノコやフキを入れて薄口醤油であっさりと味付けし、秋にはサトイモを入れ、濃口醤油で濃いめの味で炊くのです。ときにはクリやマツタケも入れて、その季節の味を楽しみます」という話を聞いたことがあります。その季節にあった色、味、香りを生かした「春のかやくごはん」「秋のかやくごはん」をつくり、家族でいただくくらしのありようは実に豊かで見事です。


女性たちの努力が生きる 農家の食事
  「かやくごはん」についてはもう一つ、ステキな話を聞きました。
 もう亡くなられた大阪の落語家が、「大阪にはすごい食の文化があります。それも、ぜいたくな味ではなくて庶民が貧しいくらしの中から工夫して生み出してきたものです。たとえば塩鯖のあらを出しにしてつくる『船場汁』や『かやくごはん』です。『かやくごはん』は冷蔵庫や台所の隅に残っている野菜の切れ端と油揚げをきざんで醤油味で炊きあげたごはんですが、残り物を生かしながら最高の料理にしてしまった大阪の女性たちの傑作です」と話されたのです。

 豊かな自然に恵まれた農村にくらす女性たちは、さらに、山や里の恵みや季節の味わいをプラスして、その土地その土地の産物を生かした「かやくごはん」をつくり、晴れの日のご馳走にまで仕上げています。

 封建制の強かった農村では、女性たちが農業や家のことに口出しすることは難しく、子を産むことと働き手としてしか期待されなかったのですが、唯一、家族のために調える食事づくりは、いくら能力を発揮しても叱られることもなく、家族を喜ばせることができる場でもあったのでしょう。

 根気よく農作業に励む力と同じように、お金を使わず家にある物を生かして、手間をかけずにおいしい食事を調えることが、彼女たちの家での存在感を強め、村でも一目おかれることにつながったのです。この分野での農村の女性たちの努力が、彼女たちの能力を高め、農村の食を豊かにし、作物や自然の恵みを生かし切る食文化をつくりあげてきたのです。


「鯖ずし」と「じゃこまめ」はふるさとの味
 大阪府の北摂地域では、収穫を迎える前の秋祭りにはマツタケのたっぷり入った「かしわのすき焼き」と「鯖ずし」が出されました。最近では、マツタケの出が悪くなってしまいましたが、今でもこの二品は欠かせないご馳走です。

 祭りの前日に、魚屋が売りにくる塩鯖を買い求めて三枚に下ろし、昆布を敷いて酢に漬け込み、酢が浸みたら皮をはがして骨を抜きます。たっぷりのすし飯をつくり、二合分ほどのすし飯をふきんの上にのせて棒状にし、その上に酢でしめた鯖の片身をのせて形を整え、竹の皮に包んでしっかりと縛ります。これを何本も大きな重箱に詰めて重石をのせ、一晩寝かせて味を馴染ませるのです。

 翌日の祭りには竹の皮から出して薄く切り、ハランを敷いた大皿に盛り付け、紅ショウガをたっぷり添えて食卓に出されます。油ののった鯖の旨味がすし飯にしみ込み絶妙の味わいです。

 このように山間部の農村では新鮮な魚などが手に入りにくかったため、魚介類の塩干物を上手に使い、野菜くずなどでニワトリも飼って、動物性の食品を確保していました。

 子どもが病気になれば滋養になると卵を食べさせ、お祭りや物事があるときにはニワトリをつぶして「かしわのすき焼き」をつくりました。また、田刈りが終わった後、大切な水を提供してくれた池ざらえや川の掃除を村中で行い、川えびや小魚を捕ってダイズといっしょに炊いた「じゃこまめ」や、焼いてからしばらく干した小鮒を芯にして昆布を巻き、じっくり煮込んだ「こんまき(昆布巻き)」もつくりました。これらの料理は、今でもふるさとの味として愛され続けています。

 茨木市見山地区にある農産物直売施設「見山の郷」の茶店では、「鯖ずし」や「じゃこまめ」をふるさとの味として提供し好評です。
 油ののったおいしい塩鯖が手に入ったら、「鯖ずし」をぜひつくってみてください。


続く⇒