短歌の「伝統」について、その5。
>松尾芭蕉の紀行文「笈の小文」に、次の有名な一節がある。
西行の和哥における、宗祇の連哥における、雪舟の絵における、利休が茶における、其の貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。(『新編日本古典文学全集 松尾芭蕉集2』小学館刊)
>「其の貫道する物は一なり。」という言葉は、「それぞれの携わった道は別々だが、その人々の芸道の根底を貫いているのものは同一である」(全集訳)という意味である。芭蕉はこの言葉によって、すぐれた芸術家の系譜に、自分も俳諧により連なるという自負心を密かに内在させている。
>私はこの言葉に初めて触れたときに、「伝統」の本質を単純にこの言葉に仮託し、深く胸を打たれたことがある。しかし、改めてこの一節を読み直してみると、「しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。」という言葉から後の内容の方が寧ろ気になる。
>この言葉は「ところで、俳諧というものは、天地自然に則って、四季の移り変わりを友とするものである。」(全集訳)という意味であり、以下、見るものすべてが花であり、思うことすべてが月であるような生き方を実践し、「野蛮人や、鳥獣のような境涯から抜け出し、天地自然に従順になり、天地自然の根本のところに立ちかえ」(全集訳)ることを求めている。
>芭蕉の言うように俳諧が「天地自然に則って、四季の移り変わりを友とするものである」ならば、それは、和歌の精神にも合致する。また、冷泉貴実子さんが発言した、「季節感を共有するのが日本文化」であるという言葉にもリンクしよう。(本稿第27回参照)
>俳諧の「季語」はキーワードという言葉に単純化して語ることはできない。また、和歌の季節の言葉も同様であるだろう。それは、過去からの共同性と歴史性を内在化する精神性を象徴化した語彙である。
>芭蕉の言葉が図らずも語っているのは、俳諧の根本精神に、和歌の自然に対する詩性が息づいていることではないだろうか。もちろん、それは、和歌と完全に一致するものではない。詩型の差異が自ずからもたらす、構造的な差異を勘案しなければならないものである。
>しかし、その差異を勘案したとしてもそこに貫流する精神には、自然に対する感応を「詩」に昇華する創作行為において、ある共通性が見出せるのではないか。また、そうであるならば、この側面から和歌と俳諧の「伝統」という問題を立てたとき、両者の「伝統」に関して、詩型の差異という事のみを殊更に特化することは良策ではない。いや、むしろ不毛であると言ってもいいだろう。
>短歌の「伝統」の問題は、和歌と短歌だけの問題として特化すべきではなく、和歌から派生した俳諧の問題としても同時に視野に入れておく必要があるのではないか。芭蕉という存在は、特にそのような思いを強く促す俳人である。
《補足》
>上に引用した一節に関しては、『荘子』の影響が指摘されている。特に、「其の貫道する物は一なり」は、『荘子』斉物論の思想、林註に基づくものとされる。また、この一節にはさらに、宋学の理一分殊の論理も働いていると考えられている。これは、「宋学にいう形而上的絶対者である太極は、それが何かのはたらきとして特殊な形をとるときはじめて認識できるのであり、逆にいえばすべての事象は一つの太極に帰一するとの思想である。」(『総合芭蕉事典』項目執筆、野々村勝英 雄山閣刊)。
>この思考法は当時よく知られていたものであり、芭蕉は芸術家のあるべき姿として、このような「造化随順」を説いたとされる。「(前略)すべての芸術を貫く精神を宇宙の創造力に帰一するところに認め、この創造力と一体となって四季の運行変化のごとく停滞することなく自己脱皮を遂げようというのが、造化随順の考えである」(同上)。
>以上のことを踏まえると、芭蕉の言葉は広義の芸術理念と根本精神を語ったことになるが、その内奥に和歌から俳諧へと継承された「伝統」をも内包していると考えたい。
08/02/18 up
08/02/18/pm13補足追加
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